想像してみてください。
あなたの前に友達がたっています。あなたはいつもと同じように「おはよう」と声をかけました。
でも、いつもと様子が違います。その友達は困った表情を浮かべた顔で、こう言ったのです。
I can't understand what you are saying.
あまりに突然のことで、初めのうち、あなたは友達の言った言葉が何語かすらもわからないでしょう。
でも、あなたは友達の言っていることを必死に理解しようとするでしょう。
そうしないとその友達とはもうこれからどんな話もできなくなってしまうのですから。

もしかしたらこの例え話を、あり得ないと言って切り捨てるかもしれません。
でも本当にありえないのでしょうか。

みなさんが学校で使っている教材は、先生が日本語訳を持っているでしょう。
その内容が知りたければ先生に尋ねればことたります。
だから、みなさんは英語を勉強することは包丁をとぐ作業だとしか思えないでしょう。
誰だって四六時中包丁をといでいたらつまらなくてやめてしまいます。
続ける為には、自分で磨いた包丁で料理する楽しみを知らなければなりません。

Gnobleの授業は調理実習です。
大学の授業は家庭料理です。
研究者の研究はレストランです。

「友達」である英文は、何かをあなたに伝えたくてずっと声をかけています。
「食材」である英文は、美味しい料理になりたくてうずうずしています。

あなたはそれを無視しますか?

言葉というのは、道具です。
でも、「道具である」というのと「道具でしかない」というのは、全く別です。
包丁がないと料理は作れないのです。